岸政彦 編『東京の生活史』
出版社 : 筑摩書房
150人が語り、150人が聞いた、東京の人生
いまを生きる人びとの膨大な語りを一冊に収録した、かつてないスケールで編まれたインタビュー集。
一般から公募した「聞き手」によって集められた「東京出身のひと」「東京在住のひと」「東京にやってきたひと」などの膨大な生活史を、ただ並べるだけの本です。解説も、説明もありません。ただそこには、人びとの人生の語りがあるだけの本になります。
それまでも何度か東京には遊びに行っていましたが、18歳の受験のときにはじめてひとりで東京を訪れたときのことが忘れられません。どこだったか場所も忘れた、小さな安いビジネスホテルの部屋で、真夜中に窓を開けると、星空のような街の水平線に新宿の高層ビルの灯りがきらきらと瞬いていました。
よく、東京にはリアリティがないとか、虚構の街だとか、記号の海だとか、そういう気取った言い方があります。でも、この歳になってもいまだに、東京を訪れるたびに感じるのは、その実在感です。ああ、東京タワーって、ほんとにあったんだ。新宿アルタって、ほんとにあるんだ。渋谷のスクランブル交差点って、実在するんだ。
有名なところだけでなく、小さな商店街の一本裏の、小さな家やアパートが並ぶ路地も、たしかにそこに実在する東京です。
記号やバーチャルではない、実在する東京。ほんとうにそこにある、ただの、普通の東京。 もちろんその全貌を、一挙に理解することはできません。でも、私たちはすくなくとも、たまたま出会ったその小さな欠片を切り取って、手のひらの上に並べることはできます。(プロジェクトに寄せて 岸政彦)
……人生とは、あるいは生活史とは、要するにそれはそのつどの行為選択の連鎖である。そのつどその場所で私たちは、なんとかしてより良く生きようと、懸命になって選択を続ける。ひとつの行為は次の行為を生み、ひとつの選択は次の選択に結びついていく。こうしてひとつの、必然としか言いようのない、「人生」というものが連なっていくのだ。
(……)
そしてまた、都市というもの自体も、偶然と必然のあいだで存在している。たったいまちょうどここで出会い、すれ違い、行き交う人びとは、おたがい何の関係もない。その出会いには必然性もなく、意味もない。私たちはこの街に、ただの偶然で、一時的に集まっているにすぎない。しかしその一人ひとりが居ることには意味があり、必然性がある。ひとつの電車の車両の、ひとつのシートに隣り合うということには何の意味もないが、しかしその一人ひとりは、どこから来てどこへ行くのか、すべてに理由があり、動機があり、そして目的がある。いまこの瞬間のこの場所に居合わせるということの、無意味な偶然と、固有の必然。確率と秩序。
本書もまた、このようにして完成した。たまたま集まった聞き手の方が、たまたまひとりの知り合いに声をかけ、その生活史を聞く。それを持ち寄って、一冊の本にする。ここに並んでいるのは、ただの偶然で集められた、それぞれに必然的な語りだ。
だからこの本は、都市を、あるいは東京を、遂行的に再現する作品である。本書の成り立ち自体が、東京の成り立ちを再現しているのである。それは東京の「代表」でもなければ「縮図」でもない。それは、東京のあらゆる人びとの交わりと集まりを縮小コピーした模型ではないのだ。ただ本書は、偶然と必然によって集められた語りが並んでいる。そして、その、偶然と必然によって人びとが隣り合っている、ということそのものが、「東京」を再現しているのである。
(岸政彦「偶然と必然のあいだで」より抜粋) (出版社より)